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マインドフル・マッサージ 今この瞬間に施術する

David M. Lobenstine 訳:医道の日本社編集部

  私たち、マッサージ師は、上品で、親切に、温かくあるべきとされる。癒しの愛にあふれているとされる。私たちは、ユニークな才能を世界と共有することを欲して、毎朝起きている。
  しかし、施術の現実は、これとはほど遠い。クリーニング屋はきれいなシーツを届けてくれない。治療院のマネージャーは支離滅裂である。嫌いなあの曲がまた流れている。手が痛んでいるのに、患者はさらに強く圧迫するように要求してくる。そうなると次に何が起こるか、私たちは分かっている──施術に影響が及ぶようになるのだ。私たちの精神は憤慨や注意散漫などで空転し、治療に集中することができなくなる。結果として、患者が犠牲になってしまう。そして、私たちは認識していないかもしれないが、それは次第に、私たちマッサージ師にも影を落とす。  しかし、代わりの選択肢がある。それはマインドフル・マッサージを行うことである。  
  仏教に由来するマインドフルネス─自己認識に関する古来からの実践─は現在注目の話題である。これは驚くことではない。落ち着いた、見識ある空気を発散させたくない人はいるだろうか? 今この瞬間に生きたくない人はいるだろうか?  
  セルフケアのツールとしてマインドフルネスを用いるのは重要だが、私はマインドフルネスがそこで止まってしまうとは思わない。私たちは治療中でもマインドフルになることができるし、なるべきだと考える。  
  マインドフルネスの実践は、患者に会った瞬間から、患者が治療室を去る瞬間まで、セッションごとに、毎日の施術を深くし、明快にする。それは同時に、私たち自身と患者の役に立つ方法である。

【 意識の適用】

  ジョン・カバット・ジン(米国におけるマインドフルネスの優れた講師)は、単純な定義を提供している。「マインドフルネスは、持続的かつ特定の方法(今この瞬間、意図して判断しない)で注意を払うことで深めていく認識である。私たちが皆、経験しているように、日常生活はたいてい、この定義とは正反対である。すでに起こったことについて心配し、起こっていないことを予想し、できたこと、すべきことを考えて、今行っていることから気を散らしてしまう。マインドフルに集中せずに、不注意に揺らぐ精神のデフォルト設定は、治療室で当たり前になりがちである。しかし、私たちの施術にマインドフルネスの原理を応用することで、手で費やす果てしない時間を変えることができる。
  それでは「マインドフル・マッサージ」とは、どのようなものか? 正直にいうと、これは通常のマッサージとそれほど変わらない。私は今でも加圧し、軽擦し、揉捏し、摩擦している。早く施術することも、ゆっくり施術することもできる。あなたが私を観察していても、違いが分からないかもしれない。しかし、患者には分かる。  
  患者に分かる理由は、マッサージ学校の最初の学期で講師が言った「意図がすべてである」ためだ。そして、私の意図と目的は、何も達成しないことである。助け、治したいと望む治療家にとって、この「何もしない」というのは非常に難しい。カバット・ジンがいうように、「マインドフルネスの課題は、それを変えようと飛びついたりするのではなく、今この瞬間のあるがままの経験をとらえることである」つまり、私はマインドフル・マッサージで患者を治療しようとはしていない。

  通常、マインドフルネスは瞑想を介して実践される。自分自身とともに座って、呼吸の出入りを観察する以外は何もしない。確実に現れるであろう思考と注意散漫が生じても、自分を判断せず、押しのけようとしないこと。それらを認め、注意を呼吸に戻すだけである。目的はあるがままに「経験を経験する」ことであり、経験を変えようとすることではない。  
  マインドフル・マッサージでは、この観察の対象を私たち自身と患者に拡大する。多くの仕事と比較して、マッサージの仕事は、マインドフルネスを取り入れる環境にある。常に電話対応に追われるわけではなく、メールを逐一確認する必要はない。また、面倒な同僚が机に来ることもない(後ほど説明するが、おしゃべりな患者でさえ、マインドフルに施術を行えば、おしゃべりする可能性は低くなる)。あるのは、目の前にいる患者の身体と考える精神だけである。私たちは座るよりは動く傾向にあるが、瞑想の原理は応用可能である。呼吸で私たち自身をつなぎ留めて、注意散漫が生じれば、それを認め、吸息と呼息の意識に戻る。違いは、もちろん、別の人が部屋にいることである。そのため、私たちは、この意識を拡大して、患者を含める。つまり、自分自身の呼吸と患者の呼吸に注意する。自身の身体を観察しながら、患者の身体を観察する。判断はしないこと。
  瞑想を、修道僧が山頂で行う抽象的で実体のないものと想像するのは簡単である。しかし、マインドフルに施術するというのは「軽く施術する」ことを上品にいったものではない。私は、患者が望まない限り、かなり深部に施術する。実際、私たちはたいてい、強い圧迫を加えることが多い。マインドフルにマッサージを行えば、深部組織マッサージでは真の意味で「深部に」効果的に圧迫を加えることができる。

 

つづきは、雑誌「医道の日本2017年4月号」でお読みください。