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経絡治療・巻頭鼎談 1
「名人の技」をどう受け継ぎ、どう伝えていくか
(動画あり)

岡田明三氏 橋本巌氏 阿江邦公氏

⇒ 経絡治療・巻頭鼎談 2 伝えたい「古典と臨床が結びつく快感」

1959(昭和34)年、医道の日本社主催で、第1回となる鍼灸経絡治療夏期大学が開学。第11回以降は主催が経絡治療研究会(第20回以降「経絡治療学会」に改称)に引き継がれ、今年で第60回の節目を迎えた。

そんな小社と縁が深い経絡治療学会の会長を17年にわたって務めるのが、岡田明三氏である。経絡治療の大家、岡田明祐氏を父に持つ明三氏と、長く弟子としてともに時間を過ごした橋本巌氏と阿江邦公氏。三者の「技の原点 学びの原点」を探る。

【経絡治療学会、激動の年に弟子入り】

――橋本巌先生は10年、阿江邦公先生は12年にわたって、岡田明三先生のもとで修行を積んだそうですね。まず、橋本先生が岡田先生に師事されたきっかけを教えてください。

橋本   きっかけは1994年の第36回夏期大学です。私は明治鍼灸大学(現・明治国際医療大学)の2年生だったのですが、クラスメートが夏期大学のパンフレットを持っていたのです。当時、夏期大学は熱海で行われており、私の実家が静岡だったので、帰省のついでに友人と参加しました。その夏期大学の懇親会で、岡田先生と初めてお会いしました。後ろのほうに座っていると、前に座っているはずの講師を務める岡田明三先生が入ってきて、私たちの横に座ったんです。

座談会が行われた神宮前鍼療所、動画レポート!

岡田   あのときは明鍼会からの参加者と別会場で会食をしていて、遅れて懇親会に参加しました。偶然の出会いです。あれから25年が経つんですね。

橋本   周囲の人たちが岡田先生に「前に座らないと」と促すなかで、「ここでいいから」と、末席にずっと座っていたのが印象的でした。

――初めての夏期大学は、どうでしたか。

橋本   鍼灸大学2年の私にとっては衝撃的なものでした。すでに臨床の現場に出ている参加者が多く、脈診や鍼の実技で私がまごついていると、「大学にいるのに、そんなことしかできないのか」と言われてしまうほど臨床技術の差が明らかでした。

脈診のトレーニングでは、100人以上の人が二重の輪になって、中の輪の人が時計回りに動きながら、一人ひとりの脈を診ていきました。そのときに「脈は人によってこんなに違うんだ」ということだけは、分かりました。それも当時の私にとっては、新鮮な驚きだったんです。

分からないことだらけのなかで、腑に落ちたのが、岡田明三先生の講義でした。会長の岡部素明先生による経絡治療の講義は、参加者の身が引き締まる雰囲気でしたが、それとは対照的に、明三先生の講義はくだけていて笑いもあり、とっつきやすかったです。身近な例を出しながら、簡潔に講義をされるので、こっちも理解できた気になるんですね。夏期大学からの帰り道では、「これは一生かけてやるべきものだ」と素直に思いました。

座談会が行われた神宮前鍼療所、動画レポート!

――そのときの出会いをきっかけに、卒業後に、岡田先生に弟子入りされたのですね。

橋本   はい。翌年には神宮前鍼療所を見学させてもらい、卒業時に「入れてください」と手紙を出し、卒業後の1997年に弟子入りすることになりました。ただ、私の場合は、岡田明祐先生、岡田明三先生の二人の弟子になった格好になります。

経緯をもう少し詳しく話しますと、手紙を出した頃、大阪鍼灸専門学校(現・森ノ宮医療学園専門学校)が事務局で近くのホテルで日本経絡学会(現・日本伝統鍼灸学会)があり、そこで明三先生と改めて会うことになりました。ところが、明三先生は「僕は発表があるから、あとはよろしく」と立ち去ってしまい、明祐先生と二人きりになったんです。明祐先生から「君は若いから3~5年、内弟子をしてみるか」と許可をいただき、お世話になることになりました。

――最初は主に明祐先生につかれたのでしょうか。

橋本   そうですね。明三先生は治療の準備も含めてご自分で何でもされるので、必然的に、治療中は院長である明祐先生のそばについて、治療の補助を行いました。明三先生のアットホームさとは異なり、明祐先生が持つ鋭い雰囲気のなかで最初の修行期間を過ごすことになったのは想定外でした(笑)。

岡田   当時、神宮前鍼療所には、常時3~4人のスタッフがいました。橋本君から手紙をもらったのは、ちょうど入れ替わりのタイミングでしたね。父が亡くなる前後は、人生のなかで一番忙しい時期で、あまり細かい記憶がないけれど……。

橋本   明祐先生が亡くなったのは2001年ですから、私が入って4年後のことです。同じ年に馬場白光先生も亡くなりました。その前年には、岡部素明先生、島田隆司先生が亡くなり、岡田明三先生が経絡治療学会の会長に就きました。いろんなことが続きましたよね。

 

つづきは、雑誌「医道の日本2018年10月号」でお読みください。