ふるさとと故郷の巨大地震 ─前記─

竹村文近

【大地震に見舞われたふるさとの地】

  2015年4月25日、ネパールで大地震が起こった。  
  ここ20年、チベット・ヒマラヤの辺境地をきめ細かに旅している。2800mのルクラから歩くエベレスト街道は、高所を歩きたいがためのトレーニングの拠点でもある。ムスタン、カイラス(カンリンポチェ)、アッパードルポ、ヤンツェルゴンパ……4000m、5000mの地を歩きに歩いた。「歩くことは呼吸すること」だということを、身につけた。  
  ヒマラヤ・チベットは、私の生活の一部ともいえる。私の鍼灸を組み立て、自分自身の身体を整える場でもある、かけがえのないふるさとだ。信頼のおけるシェルパ族の友人たちもいる。自分を大切にしてくださる、兄弟ともいえる僧侶たち。その人たちの安否が、心配で心配でならなかった。無事を確認するのに3週間かかった人もいた。何日も大きな揺れが続き、友人の家族は何カ月もの間、家の中が怖くてテントで過ごしたらしい。ヒマラヤの山岳地帯の情報は全く入ってこなかった。毎日のように電話をかけ、状況を知ろうとしたが、たとえカトマンズまで出向いても身動きがとれない。国内のヘリも不足状態で、近隣国から借りているという。  
  すぐにでも飛んで行きたくても行けない状況、イライラする毎日が続いた。「先生、ネパールに行かないんですか?」という言葉を投げかけられると、むかつくどころか怒りさえ覚えるくらいな気持ちであった。

【ようやくネパールの被災地へ】

  大地震の前年5月、私の元で学んでいた開業間近の3人の鍼灸師(女性2人、男性1人)を連れ、4000mのタンボチェゴンパまで歩いた。カトマンズでは私の教え子の病院で、何人もの患者さんに鍼灸治療をした。私が旅を通して学んだこと、大自然の環境に身を置き、歩き、その地に住む人々に触れ、自分自身の鍼灸施術・即興治療を組み立てていったことを見せるべく連れて行った。それは今しかないと思ったからだ。
  この3人は、ヒマラヤの山々、エベレストを目の当たりに身体に受け止め、行く先々で私の知人たちの人間性の豊かさに触れて、心と心のつながりを自然体に身に収め、本当の学びをしたことを確信した。陰陽五行というものを切に感じたはずだ。  
  その年の12月、3人の鍼灸師が、かけがえのない一生の想いを身につけ、無事帰国できたことのお礼参りに、冬のヒマラヤに出掛けた。翌4月25日、その3人と食事をしている最中、ネパール大地震が起こった。『鍼灸 本当に学ぶと云うこと』の執筆をし始めた頃であった。
  2016年2月9日、現地の状況も踏まえて、やっと行ける日が来た。飛行機の窓から目に入るヒマラヤの山々、しばらくすると飛行場に近い目玉寺(ボウダナート)が見えてくる。近づくにつれて、カトマンズ盆地の様子が何かおかしい。おそるおそるタラップを降りた。迎えの車に乗り、ホテルに向かう。埃っぽい街並みとひどい渋滞、半端でない人ごみ、相変わらずのネパールだ。ところどころに地震の傷跡が見えてきた。即、目玉寺に足を向けた。半球状のドームに色彩もなく、中心の柱もなく、大きな櫓が組まれ周りには梯子が乱立されていた(写真)。大修理中だ。地域によっては重要文化財の建物、寺院、塔、仏像も壊滅状態であると聞き、実際に行ってみると、ダルバール広場、バクタプル、パタン……地震の後遺症は、ひどい状態だ。

【出鼻をくじく音楽】

  毎回、ネパールでの第一夜はタブラとサロッドの生演奏を楽しみにしている。インド料理を食しながら、打ち合わせをする。サロッドを奏でる75歳の老匠は、スティービー・ワンダーを思わせる卓越した趣ある人だ。   今回は、期待を裏切られてしまった。巨匠は体調を壊し、その弟子の演奏が始まった。25歳だというその男は風貌だけは整っていたが、音が出始めたらひどいものであった。タブラの音階と全く響き合わないどころか、その音階を壊しているようにさえ聴こえた。イライラした。タブラの奏者は、私の顔を見て察したようだ。明日からの歩きのため、身体に悪いと思い、即、店を出た。   ルクラからタンボチェゴンパを目指した。崖崩れ、民家の崩壊、パグディンのロッジでシェルパ族のリンジ氏から地震の状況などを詳しく聞く。疲れている私に「リルドク」と言って、とてつもなく美味しいネギがいっぱい入った芋すいとんを振る舞ってくれた。ともかくうまい。元気が出る。   タンボチェゴンパには25人のラマがいた。心身ともに癒される声明の素晴らしさは、相も変わらず。「竹村が元気で毎日過ごせますように」とお経を施してくれるナワンテンジン僧侶がいなかった。洞窟に入り、修行中だと聞いた。

 

つづきは、雑誌「医道の日本2016年10月号」でお読みください。