あはき臨床 現場のリアル
新沼はり・きゅう院(岩手県陸前高田市高田町)

【復興の槌音を聞きながらの開業】

2011年3月11日に発生した巨大地震と大津波により、甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。同市によると、2011年2月28日の人口24,128人のうち、1,558人が死亡し、202人が現在も行方不明である。東日本大震災の爪痕が残るこの地の災害公営住宅にて、新沼大氏は2018年6月、「新沼はり・きゅう院」を開院した。目の前の更地の上をトラクターが頻繁に往来し、重機が音を立てて土を盛り「かさ上げ」している様子が、鍼灸院の入り口のガラスドア越しに見える。震災の傷と復興への希望を患者と共有しながら、新沼氏は鍼灸師としての新たな歩みを進めている。

【採用面接の当日に被災】

新沼大氏は岩手県立高田高校を卒業後、スポーツトレーナーを目指して仙台リゾート&スポーツ専門学校健康スポーツ科に進学。卒業した2003年から宮城県富谷市にある有限会社ケアオフィス佐々木鍼灸接骨院に入職し、トレーナーとして実業団の女子サッカーチーム、大学ラグビー部などに帯同した。日本代表選手も所属しており、レベルが高い選手ほど鍼の要望が多かったという。「以前チームに帯同していたトレーナーが鍼灸マッサージ師だったので、鍼灸ができないとチームに迷惑をかけると思った」のが鍼灸師になるきっかけだった。

接骨院を退職して陸前高田市役所で嘱託職員(スポーツ指導員)としてB&G海洋センターに勤務しながら学費を稼ぎ、2008年に盛岡医療福祉専門学校鍼灸学科に入学。同校の卒業を間近に控えた2011年3月11日、治療院を多角経営する会社の採用面接を受けるため、バスで仙台へ向かった。東日本大震災に遭遇したのは仙台に降り立ったときだった。
「陸前高田も被災したことを知ったのは翌日の明け方です。山形、秋田を経由し、数日かけてなんとか地元に戻りました。面接先には1週間後にやっと電話がつながり、埼玉の系列治療院で採用できるといわれましたが、被災した地元を離れるなんて考えられなかった」

せっかく鍼灸師の国家資格をとったのだから、気にせず埼玉の治療院に就職するように、と両親に背中を押された。4月までは地元でボランティア活動に従事し、翌月から埼玉へ。2013年には以前から付き合っていた地元の女性との結婚を機に戻り、宮城県気仙沼市の中川はり・きゅう接骨院に勤めた。

開業のきっかけの一つは家庭の事情である。

「朝早く出勤して夜は遅いし、休みの日曜日は勉強会に行ったり、地元の消防団の活動があったり、家族で過ごす時間がほとんどありませんでした。娘の世話ができないので、保育士として正社員で勤めている妻に負担がかかる。妻はあの日、保育園で子どもを数人抱えて高台に逃げ、自宅は流され、4畳半二間の仮設住宅に大人4人の生活を経験しています。そんな妻と、娘との時間をもっとつくりたいと思っていました」

東京と陸前高田を行き来している藤林初枝氏(さの鍼灸治療室)に出会ったのは2017年の夏。藤林氏は東日本大震災直後の5月から岩手県と宮城県の各地で鍼灸以外のボランティアを始め、陸前高田市では2013年4月からボランティア施術を開始。2014年12月に陸前高田市米崎町佐野にあるプレハブの仮設店舗を市から特別に提供され、開業していた。藤林氏の患者で新沼氏の同級生である歯科医師の吉田重之氏(吉田歯科医院)が、「ユニークな人がいる」と藤林氏を紹介してくれた。唯一休みの日曜日に藤林氏がプレハブ治療室にいれば手伝いに行き、徐々に開業の準備を進めていった。
開業にあたり、商工会議所に相談したところ、岩手県の補助事業である「さんりく地域起業・新事業活動等支援事業費補助金」を紹介され、補助金約90万円で昇降ベッドや低周波治療器などを購入した。開業してからの平日は、朝8時に家を出て娘を保育園に送り、8時20分に治療院到着。9時から開院し、18時以降は完全予約制で受け付ける。藤林氏は2018年8月に仮設の治療室を閉め、電話番号と自分の患者を新沼氏に譲り、現在は東京での活動と新沼はり・きゅう院での治療を続けている。

震災前の陸前高田市には鍼灸院は6院以上あったが、被災によりほとんどが閉院あるいは他市に移転、視覚障害を持つ鍼灸師2人は津波の犠牲になったという。

【内科疾患に対応したい】

新沼氏は、開業して強く思い知らされたことがある。

「もっと学ばなければ」

鍼灸院の患者層は、これまで勤めてきた鍼灸接骨院とは全く違う。腰痛、肩こりなど運動器疾患が主訴でも、内科疾患や精神疾患を併せ持つ患者が多い。鍼灸師になる前、地元でスポーツ指導員や野球部のコーチを務めていた新沼氏は、スポーツ疾患に対する鍼灸治療は得意だが、不眠や泌尿器科の症状などへの対応は「今のままでは力不足。勉強の必要性を痛いほど感じています」とつぶやく。また、鍼灸接骨院には受付係、施術者が複数人いたが、一人治療院は受付も治療も一人でこなし、経営面も当然考慮しなければならない。家族と過ごす時間は増えたが、日曜日は明鍼会の講習会や大師流小児はりの会などに参加し、研鑽を積むようになった。今後内科疾患は、経絡治療をベースに組み立てていきたいと今は考えている。

 

つづきは、雑誌「医道の日本2019年3月号」でお読みください。

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