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月刊「医道の日本」の歩み

1938年創刊

伝統・実績・信頼を誇る鍼灸・手技療法専門誌
月刊「医道の日本」の歩み

月刊「医道の日本」について

同窓会誌『蓬松』の画像

月刊雑誌『医道の日本』は1938年10月、日本高等鍼灸学院(柳谷素霊校長)の同窓会誌『蓬松』(1937年5月創刊)を引き継ぎ、戸部宗七郎によって、『医道の日本』として創刊された(B5判・8頁)。2年後、1940年1月号よりA5判・縦組に変更され、2001年1月号にB5判・横組となるまで60年間、同一判型で発行された。
1941年、戦争が激しくなり、当局の命令によって3月号をもって『漢方と漢薬』に合併され休刊となり、戦後1946年4月号で復刊第1号として発刊された。小さな雑誌は戦争により大きな影響を受けたが、以後60数年間、日本の代表的な鍼灸専門雑誌として発行され、2009年1月号で通巻784号となり、そして2010年5月には800号を向かえた。

医道の日本1の画像
本日の道場の画像

これまで通巻200号、300号、400号、500号、600号、700号の節目、節目の記念の号では大特集を組み、読者から多くの支持と高い評価をうけ、業界にその存在を強くアピールしてきた。
70数年にわたる一貫した編集方針は、鍼灸臨床分野においては、現代医学の進歩を注視しながら、一党一派に偏ることなく、流派にこだわらず、鍼灸の科学化と伝統的なものの良さをミックスしながら幅広く構成している。

また鍼灸の教育、学会、研究、保険問題などについては、広く社会、医療の流れの中で、斯業がいかにあるべきかをコンセプトに、この業の進展を一貫して追求している。
編集内容は鍼灸専門誌として、臨床記事を重視し、日々の臨床に役立つ記事、症例報告を柱としている。
また教育、業界、保険問題などを深く掘り下げ方向を示し、さらに国際的な鍼灸学会、経絡経穴の国際統一についても力を入れ、また多くの論争、アンケート調査、鍼灸院経営、故人の追悼、随想、研究会、ニュースなどタイムリーにとりあげている。
その時代、その時代の鍼灸の、鍼灸師の動きが余すことなく収載されており、『医道の日本』を読めば鍼灸のすべてが分かると言われている。また鍼灸だけではなく、あんまマッサージ指圧、カイロプラクティックなどの手技療法、また美容鍼灸やスポーツ鍼灸、介護問題なども取り上げ、読者のニーズに応えている。

文学界の「芥川賞」「直木賞」に倣い、鍼灸界に「代田賞」「間中賞」を設けたのも特筆されよう。1977年、鍼灸学術の発展に寄与することを目的に創設された代田文誌先生の「代田賞」を、また1986年には科学的視点だけでない融通無碍の間中喜雄博士の「間中賞」を創設して、それぞれ副賞賞金30万円の授与、授賞論文の発表を行ってきた。

代田賞は2009年で33年目33回の表彰を向え、また間中賞は2008年に終了するまで23年間23回の授賞を行い、鍼灸学術の発展に少なからぬ役割を果たしてきた。

歴史

1938年創刊
戸部宗七郎によって、『医道の日本』として創刊(B5判・8頁)
1946年復刊
当局の命令により1941年に他誌と合併、1946年復刊
1959年200号記念
「電探と理論と実際」
1969年300号記念
「現代日本の鍼灸」
1977年400号記念
「電探・電気鍼器特集、30年間総索引」
1986年500号記念
「圧痛点による診断と治療および指頭感覚」
1994年600号記念
「心に残る症例」
「現代鍼灸業態アンケート」
1994年
臨時増刊号NO.1〜4
No.1「スポーツトレーナー」
No.2「併用してみたい手技療法」
No.4 特集:1冊まるごとお灸
2000年〜
臨時増刊号NO.5〜11
No.9 特集:競技別アスレチックトレーナー
No.10 特集:カイロプラクティック
No.11 特集:美容と鍼灸
2002年700号記念
「1.東洋療法に対する一般人アンケート、2.経絡とは」
2007年大特集号
「鍼灸師大量輩出時代が来た」
2008年大特集号
「医療機関と鍼灸師」
2010年800号記念
「800号記念特集」
2016年~
医道の日本PLUS
カイロプラクティック(2016年)
テーピング療法最前線(2018年)
2017年
888号記念
「ツボのとらえ方」
緊急特集
「読売巨人軍・澤村投手への鍼施術報道の検証」
2018年
900号記念
「あはき臨床 私の学び方 伝え方」
80周年記念
「この先の治療に活かす 技の原点 学びの原点」
2020年7月「医道の日本」誌
不定期刊行に変更

主な記事

臨床記事

1946年、今日でもバイブルのように読まれている『経絡治療講話』の基となる連載が井上恵理氏、本間祥白氏により始まっている。1951年には赤羽幸兵衛氏による「知熱感度測定法」の第1報が掲載され大反響となり、それから赤羽氏は、鍼灸界の大発見ともいわれる「皮内鍼」を発明し、鍼灸治療法の発展に多大な功績があった。
1972年ごろより中国の鍼麻酔がマスコミに連日のように取り上げられ1973年には「鍼麻酔研究号」の特集を発行した。1983年の大村恵昭博士の「バイデジタルO-リングテスト」はセンセーショナルな発表であった。
1957年の座談会「坐骨神経痛」を始まりとして、鍼灸臨床の第一者による座談会、特集が毎月のように組まれ、臨床記事の充実が計られている。近々では現代医学の医師を交えて、現代医学の最新の考え方と鍼灸臨床の実際を組合わせる形で「疾患別特集」が連載されている。
代田文誌氏による「鍼灸臨床ノート」、東京都症例検討会による「症例報告」、筑波大学理療科による「診療録」、日産玉川病院東洋医学科による「鍼灸臨床生情報」、西田皓一氏による「東洋医学見聞録」、「FACT誌関係論文」などなど多くの報告が連載となり、明日から役立つ症例報告として、読者から厚い支持を受け3年、5年と長期にわたる連載となっている。好評により単行本となって連載は数知れない。

論説

1946年から1956年まで巻頭を飾った柳谷素霊氏による「巻頭言」は、戦後の鍼灸界を導く提言であった。
1948年、芦田定蔵氏の「鍼灸の科学性」、鍼灸界の重鎮を集めた座談会「これからの鍼灸を語る」は、鍼灸が存続するためには鍼灸を科学的に研究するべきだとの新しい方向性を示した論文となった。

1958年「鍼灸治療の適応と限界」、この頃より鍼灸は万能の考えから鍼灸の適応と限界が語られ始めた。

1952年、米山博久氏の「経絡否定論」が掲載されると、経絡の肯定、否定、折衷と別れて大論争となった。1967年には「鍼灸の科学化」について、出端・竹山論争が起こる。
また「耳のハリで痩せるか」の論争、「五十肩で鍼は効かない」の五十肩論争、など多くの論争が紙面を賑わした。
1977年、特集「鍼灸と現代医学との関連はいかにあるべきか」は、出端氏、島田氏など当時の論客がまさに雌雄を決する勢いで書き上げた特集となった。

国際鍼灸

1953年、ドイツ・シュミット博士が来日し座談会「国際鍼灸座談会」が企画され、鍼灸の国際化の夜明けを伝える。
1965年「第1回国際鍼灸学会」が東京で開催され、口絵写真、印象記などで大々的に取り上げた。
以後北朝鮮の「ボンハン学説」、「第2回・第5回国際鍼灸学会」、「中国鍼灸・鍼麻学術討論会」、「WHOの鍼に対する見解・ガイドライン」、「アメリカNIH合意声明」など鍼に関する世界の動向を逐一に報道。

また「WHOによる経穴部位の国際標準化」については、1983年から2009年まで第1次、第2次の日本経穴委員会の活動のすべてを報告し、ついに2008年、「経穴部位の国際標準化」が達成された。微力ながら本誌の報道もその実現の一助になったかと思う。

業界問題

終戦後、いわゆる「マッカーサー旋風」により、誌面は埋められる。
アメリカGHQから鍼灸按禁止の要望がでて、全国10万余の業者が集会、請願などを行い業界が騒然となった。
1947年の誌面には業界の必死の様子がうかがえる。その反対運動により1947年に身分法「あん摩、はり、きゅう、柔整、等営業法」が成立し、その詳細を掲載。今日の国家資格の礎となった法律である。1988年の「あはき法(法律217号)」の大幅改正など、あはき師の身分に関する法改正は注視して掲載している。

1947年から今日まで日本鍼灸師会、全日本鍼灸マ師会の代議員会・総会は、保険問題を含め業界の動きを広く読者に伝えるべく、その議事を報道。1981年、山下久三夫氏らにより「AMT制度」が提案され、3年にわたって賛成、反対と誌面は沸いた。認定鍼灸師、既得権にかかわる問題の難しさが表面化した。

その他

業界アンケート、調査については、1971年には小誌読者を対象にした第1回、2回、3回、4回と「現代鍼灸業態アンケート」を実施し、誌上で結果を発表。そのほかに鍼灸大学、専門学校、東京都、神奈川県などが実施した、多くのアンケート調査を掲載している。
柳谷素霊氏を始め昭和鍼灸界に活躍してきた多く巨星がなくなり、その訃報・追悼文を掲載し、故人を偲んでいる。
随想は、和田正系氏の「草堂茶話」、間中喜雄氏の「ちぐあん随筆」、上地栄氏の「鍼灸老舗の人々」、大河原淳行氏の「短歌欄」などなど、長期の連載が多く、中には100回、10年を超える連載もあり、肩の凝らない息がつける読み物として読者の絶大の人気を得てきた。

日本の情報を世界へ、世界の情報を日本へ

そして、現在では鍼灸治療、あん摩マッサージ指圧をはじめとする各種手技療法、トレーナーを中心としたスポーツ医学、代替医療など様々な治療法を取り上げるとともに、研究結果や経営トピック、介護保険情報、教育関連情報、関係法規までも掲載。さらにそれらの情報は国内に限らず、韓国や中国、アメリカなどの研究者、治療者と連携しながら、海外のトピックスや治療法を積極的に紹介している。