鍼灸師にとってのWell-being【第2回】Well-beingが注目される理由（全3回シリーズ）

あらためてWell-beingとは？

　前回のコラムでは、現代社会を語るうえで切り離すことのできない「経済」「健康」「WHO」というキーワードのいずれもが、私たちが専門としている東洋医学と密接な関係にあることを、まったく個人的な視点からお示しをしました。　そこで今回は主題であるWell-beingについて、深く堀り下げてみたいと思います。

・well＝[副]上手に、親密に、はっきりと、落ち着いて、健康に、十分に
・being＝[名]存在すること、存在するもの、本質、人間

※英辞郎

　私たちはそれぞれの単語が持つ意味を繋ぎ合わせて、「well-being=良い状態」と意訳しています。　WHOの立役者であるスーミン・スー博士は中華民国のご出身と紹介しましたが、彼の父親である施肇基(サオーケ・スー)氏は駐米大使や駐英公使を歴任した中華民国の外交官だったので、当時からご家庭内には英語圏の素養が備わっていたことは想像に難くありません。　よって、彼がWell-beingに込めた想いは、もっと肌感のある「feel-good」や「イイ感じ」など、平たく言えば「幸福」に近かったように想像します。

主観的幸福と客観的幸福

　「幸福」については多くの哲学者たちが名著を書き残してきましたが、「不幸」をテーマにしたものは僅かしかありません。　とある僧侶の話しによると、「地獄には釜茹で・火炙りなど具体的な苦痛が描かれてますけど、天国にはお花畑が広がっていて美しい天女が舞っているという具合に漠然としてまして。　つまり幸せって、よう判らんもんなんです」とのこと。　

　六本木の高級レストランで、気の合う仲間と楽しいパーティーに興じている時間に幸せを感じている人。　瀬戸内海に浮かぶ生口島で独り、雲が流れる空を眺めながら檸檬の花香に遊ぶ時間に幸せを感じている人。　そのどちらもが当事者にとって幸せな時間であり、SNSを比較しながら「どちらが幸せなのか？」と他人が優劣の判断をすることはできません。　Well-being視点で大切なことは、自分が心地よさを感じながら暮らしているということなのです。

　有史以来あらゆる生産活動は手仕事で行われていましたが、水蒸気を利用した工業による産業革命が200年前のイギリスで起こり、爆発的な生産量が多くの富をもたらすことになりました。　これを契機として「収入を増やして、暮らしを豊かにする」という資本主義経済が進み、全世界にマーケットを広げつつ、より人件費が安い国外に工場を建てて経費を抑えたグローバル経済が1992年の冷戦終了とともに加速しました。　

　さらにイギリスでは、人件費が安い移民労働者の受け入れ政策を進めたことで、国民の失業者が増えてしまいました。　果たして2016年の国民投票によってEU(欧州連合)からの離脱が採択され、2001年にイギリスは経済的・政治的に分離するブレグジットを迎えるに至ったのです。　

　下記のグラフにあるように、2000年代に入ってからイギリスのGDPは上がっているので経済的に豊かになっているのですが、国民が感じている幸福度が2013年から顕著に下がり始めています。　このデータによって、個人の幸福を蔑ろにして経済的な成長だけを求めると、社会的な情勢不安を引き起こされてしまうという危機感が国際的に共有されました。

　引き続き多くの課題を抱えてはいるものの、日本はバブル期以降もGDPランキング世界第３位という大きな経済規模を維持し続けており、私たちは世界的に恵まれた日常を過ごしています。　ところがアメリカGallup社による147ヶ国の主観的幸福度調査「World happiness Report」によると、日本は55位(2025年)と絶賛低迷中です。　

　その理由は違えども客観的幸福度と主観的幸福度の相関関係がイギリスの状況に似ていることから、日本社会の不安定化を懸念した内閣府は2021年以降の「骨太の方針」にて、個人と社会のWell-beingを国家戦略に掲げています。　現在では日本でも健康経営を掲げる企業だけでなく、武蔵野大学、慶應大学(リサーチセンター)、佐賀大学、叡啓大学、藤女子大学などで、Well-beingについての研究が活発化しています。

日本人特有の幸福感

　幸福度調査での評価項目は、以下の６つ。　最も不幸な状態を「0」、最も幸福な状態を「10」とした10点満点で回答するキャントリル・ラダー方式を採用しています。　アンケートに答えている各国1000人の選定基準が判らないので、果たして私たちの生活感覚に近いのかどうか。　皆さんならば、どのように答えますか？

１）一人当たりの国内総生産(GDP)
２）社会保障制度などの社会的支援
３）健康寿命
４）人生の自由度
５）他者への寛容さ
６）国家への信頼度

　仏教圏やイスラム教圏では幸福であることに懐疑的であるという傾向があり、実際の幸福感はデータよりも高いという可能性が指摘されています。　事実、「Ｑ：どないでっか？」「Ａ：ぼちぼちでんなぁ」という古典的なやりとりに代表されるように、相手が不幸のドン底にいるかもしれないことを慮る配慮を備えています。

　加えてもう一点、製鉄技術を持った渡来人を貴んできたという歴史的背景もあり、日本人は「職人のコダワリ」や「熟練のワザ」に価値を置く傾向にあります。　永六輔の名著『職人』で「生業に貴賤はないけれど、生き方には貴賤があります」と語る職人の言葉は、求道精神を重んじる文化の証左かと思います。

　思想家ハンナ・アーレントが著書『人間の条件』の中で、「労働は生命を維持するための営みで、仕事は人間世界を創造する営みだ」という指摘しています。　このように資本主義で設定されていた「資本家」と「労働者」という関係以外に、内発的動機による達成感を重んじる職人気質をもった「仕事人」があり、それが日本文化のベースラインのようです。　

　明治時代からあらゆる面において西洋化が進んでいますが、気候風土的・遺伝的・歴史的に日本は東洋であり続けます。　東洋精神をもった西洋文化だからこそ、「社会的共通資本」や「共感資本主義」など、日本独自の経済による幸福の追求が生まれたのでしょう。

鍼灸師という幸福な仕事

　自分自身が鍼灸師として歩んできた30年を振り返ると、なかなかの苦境を乗り越えたものですが、特に辛かった記憶としては残っていません。　というのも、技術者として一人前になるまでは、望む評価や収益が得られるはずがないと納得をしていたからです。　　　　

　このように花が開くまでの時間を過ごさなくてはならないのは、鍼灸師に限ったことではありません。　日本料理の板前、歌手、ピアニスト、F1レーサーなど、個人に備わった技術(言語化ができて他人と共有できること)と技能(言語化が難しく他人と共有できないこと)など、属人的な職業を志す人に課せられた宿命だと思います。　

　このようにある程度の忍耐が求められる技術職に関わるうえで、幸福感に関するトピックスをWell-beingの研究からご紹介しておきます。　職人気質を保ちつつWell-beingに興味関心を持てば、私たちの鍼灸師人生はとても幸せなものになるでしょう。

　次回は全3回シリーズの最終回、私たちにしかできないWell-being、私たちだからこそできるWell-beingの提案について提言させて頂きます。

（1）Well-beingについて学ぶことは、幸福につながるのか？

　イエール大学「心理学と良き人生」をベースにした、ブリストル大学「しあわせの科学」での調査。　事前・事後・２年後の３点で計測したところ、事前→事後では10~15%の幸福度向上がみられ、学びを何らかの形で生活に活かした人は2年後も幸福度を維持していいます。

　またオースティン大学のパトリシア・チェン博士らによれば「大学生の精神的Well-beingに関する心理教育コースの長期分析」に於いて、ポジティブ心理学の介入を教える高等教育機関(HEI)を修了した生徒の追跡調査の結果、コースに関わった学生の過半数が精神的幸福感の向上を認めているとのこと。

（2）「置かれた場所で咲く＝発展理論」と「咲く場所を選ぶ＝適合理論」は、どちらが幸福なのか？

　「仕事への情熱を得るための暗黙の理論」によると、「自分に合った仕事を選ぶ＝適合理論」よりも「時間を掛けて熟達をしていく＝発展理論」のほうが主観的な職業成功感が高く、加えて成長マインドセット理論的にも優位だそうです。

　また、発展理論型の思考は日本に多く、適合理論型の思考はアメリカに多いようです。　日本はことあるごとにアメリカ様式を取り入れようとしますが、ベースとなる国民性には違いがあるようです。　ちなみに両者では、収入に有意差はないとのこと。

※『Higher Education』,2024/3/8
※Finding a fit or Developing it : Implicit Theories about achieving passion for work
Patricia Chen , Phoebe C Ellsworth, Norbert Schwartz / 2015,pers Coc 『Psychol Bull』

執筆

中根　一（なかね・はじめ）

株式会社Fiero 代表取締役
鍼灸Meridian烏丸　代表
明治国際医療大学　客員教授
明治東洋医学院専門学校　非常勤講師
大分医学技術専門学校　非常勤講師
経絡治療学会　理事・関西支部長・夏期大学講師
鍼術丹波流宗家　故・岡田明祐氏、岡田明三氏に師事
全日本鍼灸学会 会員
日本慢性疲労学会 会員
ウェルビーイング学会 会員
日本養生普及協会 会員
地域共創 プロジェクトマネージャー
ラグジュアリーホテル オンコールプロジェクトマネージャー
著述家

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