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日本とヨーロッパを鍼でつないだ
ドイツのシュミット医師来日(1953年)

公開日:2009年11月23日

旧西ドイツのシュツットガルト市で内科を開業していたヘルベルト・シュミット医師が来日したのは1953年3月27日のことだった。

当時39歳。同年の『医道の日本』誌によると、約1年半の滞在の間、柳谷素霊氏、間中喜雄氏、代田文誌氏、岡部素道氏ら鍼灸界の中心人物を訪ねて研究に勤しみ、帰国後は日本流の鍼をモットーとして治療に当たっていたという。シュミット氏の来日は、のちの日本とヨーロッパの鍼に大きく貢献した出来事だった。

日本の鍼灸界は氏をあたたかく出迎え、1953年6月14日、日本教育会館で日独中の国際鍼灸座談会が開催されることとなった(医道の日本社主催)。日本側の出席者は柳谷氏、間中氏、岡部氏と龍野一雄氏、司会が井上恵理氏という豪華なメンバーで、各国の鍼灸の現況を報告し合い、その後シュミット氏、香港中医会理事長の許密甫(シュウ・ミッポウ)氏の実技が行われた。

今回紹介する記事は、間中喜雄氏が滞在中の氏の様子を「シュミットさんの話」と題して紹介しているページである。

そして、シュミット氏が亡くなった1995年の5月号口絵に掲載された実技の写真。柳谷氏、岡部氏、井上氏、本間祥伯氏、小川晴通氏らの真剣なまなざしが印象的である。

ヨーロッパに日本鍼灸を普及する発端となり、戦後の日本鍼灸界でも話題となったシュミット氏来日にプレイバック――。

【月刊「医道の日本」 1953年5月号 1995年6月号 PDFファイル】

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