身体のデザインに合わせた自然な呼吸法 ― アレクサンダー・テクニークで息を調律する ―

身体のデザインに合わせた自然な呼吸法

深呼吸でも腹式呼吸でもない

「本来の呼吸」に立ち還るトレーニング

 

筋緊張や感情とも相互に関係し合う、呼吸。本書は、呼吸の仕組みや声の出し方、呼吸器疾患、姿勢への理解を深めながら、人体の機能を適切に活用した自然な呼吸法を会得していきます。

間違った呼吸は、呼吸器系に長期的な負荷をかけ、感情的にも物理的にも悪い影響を与えます。アレクサンダー・テクニークを基にしたエクササイズで、ストレスや不調を引き起こす「浅くて速い呼吸」を改善し、本来の呼吸を取り戻していきましょう。

ISBN:978-4-7529-9000-0
著者リチャード・ブレナン
監訳稲葉俊郎
仕様B5判 オールカラー 144頁
発行年月2018/4/10
9000-0
定価 本体2,400 円+税
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目次

・呼吸の大切さ

・呼吸はどのように作用するか

・呼吸の達人

・習慣と誤解

・呼吸の問題点

・自然な呼吸の原理を理解する

・呼吸を改善するための最初のステップ

・声と呼吸

・活動中の呼吸

・姿勢と健康と幸福度の向上

 


 

●著者プロフィール

リチャード・ブレナン

1983 年にアレクサンダー・テクニークを学び始め、25 年以上の指導歴を持つ。現在は、アイルランドのゴールウェイにてアレクサンダー・テクニークの教室を運営。ヨーロッパや米国全土において、テレビ・ラジオ出演、ワークショップ開催など、幅広く活躍している。著書に『アレクサンダー・テクニーク完全読本』(医道の日本社)などがある。

 

●監訳者プロフィール

稲葉俊郎(いなばとしろう)

医師、医学博士。東京大学医学部付属病院循環器内科助教。週に一度行っている往診による在宅医療では、心臓以外の病気もすべて診ている。医療の多様性と調和への土壌作りのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。著書に『いのちを呼びさますもの ̶ひとのこころとからだ̶』、共著に『見えないものに、耳をすます』(共にアノニマ・スタジオ)などがある。

 


 

●はじめに

稲葉俊郎医師,医学博士,東京大学医学部付属病院 循環器内科 助教)

 

本書は、アレクサンダー・テクニークの指導者、リチャード・ブレナン氏が「呼吸」をメインに記した著書『How to Breathe: Improve Your Breathing for Health, Happiness and Well-Being』の待望の邦訳である。リチャード・ブレナン氏については『アレクサンダー・テクニーク 完全読本』(翻訳:青木紀和)(原題:The Alexander Technique Workbook: The Complete Guide to Health, Poise and Fitness)が同じく医道の日本社から出版されており、邦訳書としては2冊目となる。

 

本書をパラパラと眺めていただけばおわかりのように、人体のイラストが水彩画の優しいタッチで描かれており、深いイメージを喚起する書ともなっている。人間の体は内側にある内臓世界だけではなく、電子顕微鏡でも見えないほどのミクロ世界も含めた多様な世界が部分と全体とを織りなしながら、精妙な関係で響きあっている。多くのものが肉眼で見えないからこそ、体の適切な運用にはイマジネーションを駆使することが必須である。そのために、私たちにはイメージやイマジネーションの力が与えられている。目にも美しい本書は、通常の身体技法では使わずに眠らせている、深いイメージの世界をも活性化させる呼吸の格好の入門書となっている。

 

私たちはオギャーと叫びながらこの世界に生まれてきた。息を吐きだして人生の幕をあけ、最後の日は「息を引き取って」人生の幕を引く。「呼吸」という言葉にも、「呼」気にはじまり、「吸」気が続くことが示唆されている。資本主義では「ため込む」ことが多いこのご時世、吐き出して手放すことをこそ、意識する必要がある。一回一回の呼吸と同じように、人生のサイクルも呼気ではじまり、吸気で終わる。そうした一致には、生命の本質が隠されているように思える。実際、看取りの現場でも、人生を終えるときは呼吸が不規則になり、ゆっくりか弱くなり、最後は人生のすべてを引き受けて、体に納めるかのように大きく息を引き取って、人生の幕を引く。テレビドラマでの病院の看取りの現場では医療者も含め心電図モニター(機械)を介して死の瞬間を確認している映像をよく見かけるが、実際の現場では「呼吸」の観察こそが、生命活動を看取るために重要なのだ。それほど、呼吸は生命活動と密接に関係している。ただ、そのことはほとんど意識されない。

 

私たち人間は、約60 兆個の細胞からなる多細胞生物だが、こうして体が複雑化して精妙化したために、すべての細胞や臓器の営みを意識的に制御することはほぼ不可能となった。私たちが意識できることはほんの氷山の一角だ。体は意識と無意識とが役割分担しながら生命を運んでいるが、意識と無意識に橋を架ける唯一の活動が「呼吸」である。呼吸は、意識と無意識が重なった二重構造のなかで来る日も来る日も営まれている。意識的に行う呼吸は、全身の筋肉を使う呼吸である。それに対して、無意識の呼吸は脳幹部で行われており、睡眠時でも秘かに行われている呼吸である。

 

こうした呼吸は、オギャーと生まれてきた瞬間から自然に行われている。誰から学んだわけでもないし、体の取扱説明書を読んだ覚えもない。そうして自然に行われる赤ちゃんの呼吸を見ていると、全身をひとつの統一体として使いながら、全身全霊で呼吸をしている。その後、お座りをして、ハイハイをして、二足歩行をして、あらゆる外部の刺激に五感で対応しながら成長していく過程で、身体は全体よりも部分的に酷使することが多くなり、全身をひとつの統一体として行う自然な呼吸は失われ、忘れられてしまう。

 

本書でも、「新しい呼吸法」を学ぶのではなく、「間違った呼吸の習慣」を断ち切り、生命本来の呼吸に立ち返ることが大切なのだと強調されている。そのためには、わたしたちの人体がどのように成立していて、全身の姿勢や発声までも含め、生命活動がどのように呼吸と関連しているのか、改めて見返す必要が出てくる。

 

いつのまにか獲得した悪い呼吸の習慣は、現代のライフスタイルのなかで、しょうがなく獲得し、無意識に適応してしまったものでもある。椅子生活、コンクリートの床、不自然な形の靴、パソコンの使用など……、人体の構造からはかなり無茶なことを体は文句ひとつ言わず頑張って適応している。無意識に獲得した不適切な姿勢や呼吸法は、一つひとつ丁寧に腑分けしていかない限り、どういう風に糸が絡まっているのかわかりにくい。だからこそ、あらゆるアプローチで人体のことを知り、呼吸の本質を知ることで、悪い習慣を断ち切ることができるだろう。呼吸は、病気、原因不明の体調不良、ひいては心の病までもつながってしまうことがある。

 

アレクサンダー・テクニークの創始者フレデリック・マサイアス・アレクサンダーは、シェイクスピア作品を演じる俳優・声優として活躍していたとき、舞台上で声が出なくなるという原因不明のアクシデントに襲われた。医師にも解決できなかった問題を自力で解決していくなかで、自分自身の体の使い方の問題に気づいた。そうした個人的なマイナスの体験をプラスに転じるように体の使い方の本質を追及した。それが誰にでも使えるよう普遍化していったものがアレクサンダー・テクニークとして体系化されている。俳優業・声優業で起きた実際の困難から生み出された技術であるために、特殊で高度な身体技法を必要とする運動選手、歌手、音楽の演奏家などの間で広く学ばれている。

 

呼吸は、私たちが生まれてから死ぬまで片時も離れず行われているものだが、なかなか改めて考え直す機会も少ない。ただ、そうした毎日の行為だからこそ、今一度立ち止まって改めて考え直してみてほしい。頭だけの知識として盲信するのではなく、自分自身の体を実験台にしながら、全身で感じながら実践してみてはいかがだろうか。

 

一人ひとり、体の構造は少しずつ違うが、共通する点も多い。浅く速い呼吸をしていると、視点も考え方も短期的になる。人生は短距離走ではなく長距離走だ。これからも人生は続く。私たちの生命はほとんどが無意識で営まれているからこそ、意識と無意識の橋をつなぐ呼吸を、今一度、考え直してほしい。そのことで、私たちの奥深くで営まれている生命の世界にも、強く確かな橋が架かるはずだ。

 


 

●はじめに

リチャード・ブレナン(アレクサンダー・テクニーク教師)

 

私の長女に、呼吸についての本を書いていると伝えたら「それって面白いわけ? 1ページ目で吸う、2ページ目で吐く、3ページ目でもう1度吸って、4ページ目でもう1度吐いて、5ページ目で今までしたことを繰り返しましょう、って感じでしょ?」という答えが返ってきました。おそらく多くの人が、呼吸を「空気を吸って吐く」だけだと思っているでしょう。ただ、実際はそれ以上に多くの意味が含まれているのです。

 

呼吸とは、絶え間なく命を与えてくれる力です。生まれた瞬間から、空気が静かに体内を出入りし始め、そのプロセスは死ぬときまで続きます。あなたが生まれた瞬間、医師や看護師、助産師、そして何より両親が一番気にしていたのは、あなたが呼吸をしているかどうか、ということなのです。もしあなたが最初の呼吸をしていなければ、家族はどんなに困ったことでしょう。そして今とは異なる人生を送っていたことでしょう。最初の呼吸ができなければ、世界はまったく違うものになっていたのです! 生きているうちに呼吸が止まってしまったら、あなたが愛していることも楽しんでいることも、すべてできなくなるのです。食べ物や飲み物が、誤って気管に入ってしまった瞬間を思い出してください。そのとき頭に浮かんだことは「思いっきり空気を吸い込み息をしたい!」ということだったのではないでしょうか? そのような切迫した状況がない限り、私たちは特に意識することも感謝することもなく、呼吸をしているものなのです。ティク・ナット・ハンは「呼吸とは、命と意識を結びつける橋であり、意識とは、体と思考を結びつける橋である」と言っています。呼吸を意識し、呼吸法を改善させることで、ただ漫然と生きているのではなく、高い意識の状態で生きてゆけるようになり、ひいては人生が意味深いものになります。そうすれば自分のなかで調和がとれて、人生が楽しくなります。そのことは周りの人にも影響します。意識して呼吸法を学ぶことで、人生をうまく乗りこなすことができるようになります。

 

この本の構想が始まったのは40 年前と言えます。私は当時まだ大学生で、試験に落ちてしまい、医師になる夢が消えてしまった頃でした。私は人生がもっと有意義になるような何かを探そうと模索していました。1972 年に私は、インドのハリドワールを訪れました。そこで出会った弱冠14 歳の精神的な指導者の話に耳を傾け、呼吸の奥底に潜む生命力の大切さを教わったのです。彼の名はプレム・パル・ラワット。彼の思慮深い教えに感銘を受け、瞑想の方法を教わることにしました。

 

そして、彼の教えを通して、呼吸の大切さをより実感するようになったのです。初めの頃に聞いた話で印象的だったのは、ラワットが危篤状態の友人と一緒にいたときに起きたエピソードです。その友人は息を引きとる前に、とても弱った声で「一回一回の呼吸がこれほど力強く重要なものだなんて、今まで思ったことがなかった」と言ったそうです。それを聞いた私は、ジョニ・ミッチェルの「ビッグ・イエロー・タクシー」の歌詞を思い出しました。「失うまでは何を持っているかさえわからない」というフレーズは、まさに同じことを表現しています。しかし、私たちが授かった呼吸の大切さに気づくのに、死の間際まで待つ必要はないのです。

 

その数年後、ハタヨガやリバーシングといった呼吸法を研究しましたが、自然な呼吸法から遠ざかっているという感覚を抱きました。そして1984 年、アレクサンダー・テクニークに出会って、無意識に生まれてしまう筋肉の緊張を緩和することができ、今まで呼吸に対して持っていた考えが大きく変わりました。これまで持っていた考え方のせいで自然な呼吸ができていなかったことに気づいたのです。そして、さらにまたその数年後、2011 年の夏にスイスのルガーノで開催されたアレクサンダー・テクニークの国際会議に参加し、呼吸法を専門とする教師のジェシカ・ウルフの講演を聴きました。そこで呼吸への意識はさらに高まりました。彼女の教えに感銘を受け、「呼吸の芸術」という講義をアイルランドで2回開催できるよう手助けをし、私も授業に参加しました。そうしてアイルランドを訪れた2014 年、呼吸法のさまざまな面について議論を交わしたことで、「どうしたら呼吸を改善できるか」という本を書こうと思い始めました。その結果が、今手にしているこの本です。

 

この『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法』はみなさんの呼吸法の改善に役立つはずですし、生き方自体を改善することにも役立つかもしれません。この本を最大限に活用するためには、一通り読んでからでもよいので、本書に出てくるエクササイズを、順番どおり、飛ばさずに、すべて行ってください。本を読み進めるにつれ、少しずつ呼吸法についての理解を深め、日頃の些細な行動が呼吸に与える影響についてわかるようプログラムをつくりました。

 

本書があなたの役に立ちますように。この本の内容を身につけることで、健康や生きる力を生活のなかに取り込めるようになることを願います。

ページサンプル

 

 

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2018年516日、『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法―アレクサンダー・テクニークで息を調律する―』の発刊記念イベントが、東京都・青山ブックセンター本店にて開催され、約50名の方に参加いただきました。

本イベントは監訳を務めた稲葉俊郎先生(東京大学医学部付属病院 循環器内科助教)と、ボーカリストでアレクサンダー・テクニークの教師の鈴木重子さんが登壇し、対談とワークショップが行われました。

事前の打ち合せでも、「呼吸の大切さ」について、大変興味深いお話をされていたお二人。その一部を公開します。

健康・命との向き合い方

 

(稲葉先生の西洋・東洋医学の垣根を越えて盛り立てたいという活動理念の話題から)

編集T―――稲葉先生は臨床でご多忙のなか、精力的に活動されていて本当に尊敬です。

 

稲葉:レコードを聞くことが僕自身の治療に近いんですよ。家に帰ったらまず息継ぎのように、毎日レコードを聞いてます。病院は音がないんです。「音を流したらクレームが来る」「不快に感じる人がいる」という理由だと聞いています。そうすると、結局「誰にも害のない音」、つまり、無音になってしまうんです。消極的な理由です。巨大な施設になるといろんな人が関係しているので、なにかあると誰も責任をとりたくないですから。病院で音楽って流れてないでしょう。

 

鈴木:お医者さんにこのようなことを言っては失礼かもしれませんが……病院の空間って、そこで病気を治そうとしている方にとって必ずしも豊かで良い環境か? というと難しいものがありますよね。医療を提供する場としては仕方がないことかもしれませんが。

 

稲葉:効率化や、大量生産、大量消費型社会のシステムをそのまま転用しているだけなんだと思います。元々僕が西洋医学以外の医療に興味を持ったのは実はそこにあるんです。医療者自身の健康のためには、西洋医学以外のものにも可能性があるのでは、と思ったんです。「西洋医学以外の医療で治療する」ということ以上に、プロの医療者たちも自分自身がしっかり安定していないと、良い医療は提供できないわけですから。

 

鈴木:お医者さん自身の健康の全体性というか、どうやって生きて、どう命と向き合うかについての意識とか…それは医療に向き合う源みたいなものってどうしても繋がってきますよね。

 

稲葉:本職になればなるほど、そういうところをどうしても軽視してしまうところがありますよね。「自分はプロだからそんなのわかっとるワイ!余計なお世話!」みたいな(笑)。

そのあたりはね、僕はもっと体や心や命に関して常に学び続けるという姿勢が大切だと思うんですよね。

 

鈴木:こういった「命」という大きなテーマなど、わからないことを考えるときにいつも思い出すことがありまして。

あるとき私のアレクサンダーテクニークの恩師に、「頭と脊椎の関係がわからない」と泣きついたことがあったんですね。その時先生は、「あのね、頭と脊椎の関係っていうものは、私たちよりもずっと大きな存在なの。だからわかるわけがなくて、わからくて大丈夫」っておっしゃったんです。

つまり、先生は、「わかっていることを生徒に教えよう」ではないんですよ。わからない、それそのものを信頼しているから、生徒にもそう伝える。「信頼をできること」。それが、ある意味アレクサンダーテクニーク教師の資格でもあるんです。

 

稲葉:医療の本質って、そういうことだと思います。

当然、病院には、のっぴきならない人も来ます。いろいろな難病だったり……「もうどう考えても手がないだろう」という状態もあります。そういうときにどう向き合うのか。僕が考える「プロか、プロじゃないか」の違いは、「ほぼ可能性がないと思われる闇のなかでも、いつか一瞬でも差し込む一筋の光があることを知っているかどうか、その可能性を強く信じているかどうか」ってことだと思っています。

闇の中でも可能性を強く信じているから、頑張れるし、支えることができる。そういうことが実は一番大切なんじゃないか、って思います。

 

 

魂を導く旋律

 

鈴木:昨年、私の父が亡くなりまして。病院で亡くなったんですが。

その時、亡くなるまでの最後の3日間と、亡くなってから3日間、ずっと父の耳元で歌を歌っていたんですよ。

天国で父は「ほんとにうるさかった!」とか言ってたかもしれませんが(笑)。

 

編集T――それはすごいお話ですね。亡くなる前だけでなく、亡くなってからの3日間も歌われていたんですか?

 

鈴木:……私ね、どうにも、まだ、「何か」が残ってる気がして仕方がなくて。人の存在って、身体だけではないので。私は、「3日かかった」と思いました、何が3日かかったのかは明確には言えないのですが。

体温が下がって、酸素がなくなって、脳のはたらきが落ちて行って、完全に働かなくなるまでにある程度は時間がかかると思うんですが。そういった間、「私が歌うことに意味があるんじゃないか」と思ったんです。

 

稲葉:曲は何を歌っていたんですか?

 

鈴木:意識があるときは、父が好きなビートルズをアカペラで歌ってたんです。

亡くなってからはですね……、父の身体に手を触れていると、こう、子守唄っていうか……讃美歌っていうか、そういったメロディーが自然と伝わってきて。その感じたメロディをずっと、本当に感じるままに歌っていたんです。

 

稲葉:何かの曲というわけではなく?

 

鈴木:そうなんです。

 

稲葉:それは聞きたいですね、どんな旋律なんだろう。

 

鈴木:そのメロディは、その人がそこにいないと、出てこないメロディでしょうね。

 

稲葉:チベットの死者の書も、亡くなるときに歌うものですよね。向こうの世界に行くためのガイドというか。内容もそういうあちらの世界とこちらの世界の橋渡しのような詩が入っていますけど。でも、一番大切なのは言葉や音の意味ではないんでしょうね。音や響きそのものというか。

 

鈴木:私が父から感じたメロディは「父の存在の響き」なんです。だから、それを父に歌って聞かせることで、どこかうろうろしないように、確実にあの世の扉の前まで連れて行こうと……。

でもそのガイドになっているものって、父自身の存在のことで。別に、私が教えるとかそういうものではないんです、そもそも。彼はそこから出てきてそこに帰っていくわけですよね。だからメロディが聞こえたら、迷わずラインに沿って行けるだろうという……

その時はそんなこと考えて歌ってわけじゃないんですけどね(笑)。

 

 

存在の根源に立ち還る

 

鈴木:そうやって過ごした6日間から、「人の生と死」っていうのは、ここからが死で、ここからが生、という分断されたものではなく、「生まれて、死ぬ」という大きいサイクルその全部が「いのち」っていうんだなと。それを、ものすごく身体で納得しました。

そのなかにあって、「呼吸」と言うのは、潮の満ち引きみたいなものなのかな…と。

先生も書籍の冒頭で「息を引き取る」と言う表現も書いていらっしゃいましたよね。

 

稲葉:僕ね、本当に、実感としてあるんですよ。「息を引き取る」っていう行為が大事っていうことが……お看取りの時、その瞬間に空間が変わる感じがしますよね。

あとは、ユング心理学のミンデルが創始した「コーマワーク」という昏睡状態の方とコミュニケーションするワークもありますが、実際それともすごく近いですよ。

 

鈴木:意識のない方と会話をするっていうのは不思議なことですよね。多分、脳の外側の部分ってあんまり働かなくなってくるから、もっと、内側の原始的な部分のはたらきなどで同調したりすると思うんですけど…。

 

稲葉:「存在そのもの」ってことですよね。

 

鈴木:父の死をもって、私が強く思ったことは、結局父が自分の人生として持って帰ることができるのは、「父が自分の人生をどう経験したか」という感触だけなんですよね。私は亡くなるその瞬間も立ち会ったので、本当に「存在の根源に還る」っていう、それだけしかないんだ、って気が付いたんです。お金も地位も、ありとあらゆるもの……決して持って帰れないんですよ。

その人生の経験だけを持って帰ったとき、きっと天国には慈悲深い存在がいて、どんな楽しかったことも悲しかったことも、失敗談も成功談もなにもかも「大変だったね」って聞いてくれるんだろうなって考えて……。その時、「あぁ人生って、何でもいいんだ」と思いましたね。

もちろん「よく生きる」ことに越したことはないんですが、「がんばったけど失敗しちゃった」とか、「道半ばで終わっちゃった」とか、それで最終的にはいいんだとしたら、じゃあ心からやりたいことをやって、人生を生きた方がいいな、って。

人が亡くなることって、「人生の意味がなんなのか」を考えさせられる経験ですよね。

 

稲葉:そう意味で、その経験は、重子さんがボーカリストの道に進んだことともリンクしてくるんでしょうね。内奥にある存在そのものから発された声に導かれるようにして。

 

●稲葉俊郎先生によるイベント報告

https://goo.gl/BLAEZD

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